本稿は、木曜会員、星野忠夫先生の知人の医療専門家(医師)の方の手記を星野先生のご好意により投稿いただき掲載をご了承いただいたものです。専門家間の情報のやり取りのため、専門外の方には少し難解な部分もありますが、ご了承ください。何からのご参考になれば幸いです。(前田付記)
(概要)
私は、40歳代半ばより高血圧。その管理不良で、64歳時に一過性脳虚血発作となり、大動脈弁逆流も見つかりました。また軽度の睡眠時無呼吸症候群がありました。所用で2021年4月10日に琉球訪問の折に感染、入院を余儀なくされました。以下、その記録です。
今回の入院時の胸部CTでは肺炎があり、入院後2日で重症化する危険があると言われ、3日目に救命センターに転院し、高流量鼻カニュラ酸素療法という人工呼吸をしました。50/50と言われましたから、酸素50%の濃度で50L/分の流量だと思います。鼻のカニョーラで流しました。それでもSpO2が90を超えず、それでそこの救命センターでは二人目という「伏臥位呼吸法」(*注 後半に解説あり)をしたらすぐに99になり、気管内挿管をせずにすみました。その後3日間それを続けたら峠を越え、次第に回復に向かいました。
かかって判ったことは、肺のほかに肝臓、腎臓、膵臓なども侵され、静脈血栓症もおきやすいと言われました。私の場合は、頭と筋力は残りましたので、酸素療法をしながらコロナや歴史の本を読み、出来る範囲でのリハビリをしました。肺の機能はなかなか改善せず、また睡眠時無呼吸症候群の人にあるという低酸素症への慣れを考慮してくれず、息が苦しくないのに高流量の酸素療法を続けました。症状としては発熱ですが、39℃を超えず、デキサメタゾン療法を開始後は下がり、あとは痰と咳で、鼻水は出ず。味覚はあり、嗅覚はアレルギー性鼻炎で昔からほとんど無く、酸素療法をしているので息が苦しいことは全くありませんでした。
(その後の経過、及び感じたこと)
新型コロナウイルスは、今の世界の状況、つまり資本主義の終りを告げており、新しい社会の構築が必要なことを教えてくれました。斉藤幸平さんの本が出るまで知らなかったのですが、世界では多くの若手学者たちのマルクスの再評価が進んでいます。また、遺伝子分析から古代からの多くの歴史が再検討されています。また自然科学と人文社会科学との再統合が進められています。気候学も同じです。現在の自然生態系の回復には単にCO2の問題ではなく、社会の仕組みの改革が必要なのです。
退院後そろそろ3週間になり、自宅のマンションの4階の階段もゆっくり歩けば休まずに登れますし、長い距離も歩けるようになりつつあります。肺機能以外は、元気です。退院直後には長い電話も話も息苦しくなったのに、いまは会話は問題なくなりました。
日産のゴーンさんの事件で明らかになったことは、日本も敗戦後アメリカによって解体された財閥が復活しつつあり、高額納税者番付はいつのまにか公表されず、時間給も医師や教授などの高額所得者の給与も含めて計算し、格差を隠すようになっています。私の学生時代の同期生に聞きますと、今は社長などの重役たちの給与は、昔とけた違いのようです。日本でも格差は進み、一億総中産階級の時代から、格差社会へ進行しています。年収400万円が境ではないでしょうか。また団塊の世代より上の世代は、豊かに過ごせる人が8割だそうです。その世代を境にして、格差が広がり、社会的貧困が迫っています。斉藤幸平さんの言うように、生活レベルを落としていくしかありません。今の日本人の多くは、世界の77億人の人口の上から1割に入る富裕層です。格差をあらわすジニ係数も北欧諸国に近く、低いようです。だからコロナにも強いのだと思います。
(発症と闘病の経過)
4/21正午頃、発熱(38.5℃)して、S診療所でコロナウイルスの抗原検査をしたら、陽性でしたので、すぐ看護師が練馬保健所へ連絡し、保健師の指示で自宅待機となり帰宅した。保健所から連絡があり、「70歳以上の有症状者は観察入院となる。入院先は、東京都では入院調整本部(発熱センター)で探す。」とのこと。明日まで待機するように言われた。その後、明日9時半に日野市立病院に決まり、明日9時半出発で、民間救急車が迎えに行くと言われた。
4/22は、朝38.8℃で、朝10時過ぎても連絡なく、10時半には一時37.5℃になる。その後38.5℃。ようやく11時過ぎて保健師から「東京都全体の調整機関で探しているが見つからない。午後1~5時の間に連絡するという。その後また電話があり、明日まで待機するように言われた。
4/23は、朝9時半に介護タクシーあすかが救急対応の乗車隔離体制で迎えに来た。10時43分日野市立病院へ入院した。ここは軽症・中等症の観察入院施設でした。待機室に待機し、諸検査を受けてから入院した。入院時の胸部CTには、もう肺炎像があったようである。
入院後、息苦しくはなかったが、SpO2が88~89だったので、経鼻カニョーラでO2を1L/分で酸素吸入をした。入院後、夕方からアビガン、クラビット、デキサメタゾンの治療開始。
入院2日目(4/24)午前0時過ぎに37.3℃に下がり、午前4時には36.6℃で、その後その日は37℃を超えず。昼食前の検査で血糖値が242となり、インスリン2単位注射された。
入院3日目(4/25)の朝6時には38.2℃、8時には38.8℃となり、転院先を探すと言われ、その日は見つからず。ここでは緊急時の人工呼吸体制が取れないと言われた。
入院4日目(4/26)朝になり、東京医大八王子医療センターが受け入れてくれることになり、午後に転院。それで 転院先は重症者用の救命センターです。救命科へ入院後、すぐ酸素濃度を上げ、さらに高流量鼻カニュラ酸素療法HFNC50/50を投与されました。後は一般病室へ移るまで記憶だけです。意識を失ったことはありません。
「伏臥位呼吸療法」
最初は慣れないようで、大きな台の上に載せられてうつぶせになりましたが、なった途端にSpO2が、それまで89を超えなかったのに、あっという間に99~100まで上昇しました。HFNC50%/50Lでしたが、初めてSpO2100%という数字を見ました。その後もう一回見たきりです。SpO2が95以下になると伏臥位になりましたが、一晩したら、その後は午前に2時間くらいと、寝る時にしました。元々睡眠時無呼吸症候群があり、50歳代の頃に先輩の内科医に昼寝している時に言われましたが、30秒を超えないようなのでそのまま経過を見るだけでした。そのまま日中や就寝後に3~4時間ずつ伏臥位呼吸を繰り返し、6日目(4/28)まで続けました。その後するようにとは指示されませんでしたが、その方が良いというので、元々うつぶせ寝はマッサージを受ける時にしていましたから、以後寝る時は必ずしていました。
(その後の経過)
それでSpO2の数字が良いのと、いる場所のベッドを使用するために、救命センター内の個室に移動し、そのまま続けていました。そこでは人工呼吸器の使用はできず、酸素吸入だけなので、もう山は超えたと安堵しました。途端に看護師が来るのも少なくなりました。そこでは、ベッド上しか許されず、それで自分で出来る範囲でのリハビリを開始しました。そこではテレビを見ることもでき、だんだんHFNC50/50から40/40と下げていき、更にマスクになり、さらに経鼻カニョーラ3L/分で一般病室に転室。救命センター内は救命科が担当で、コロナ用には6床あり私は5人目でした。その後出入りがあったようですが、仕切りがないが良く見えず、中の様子は判りませんでした。後は、だんだん回復していくのを待つだけで、ゴールデンウイークなので、体制が無く、酸素流量を減らしてもらえず、GWが明けてから減量が始められました。
新型コロナ(COVID-19)にかかって感じたこと:
入院後アビガンとデキサメタゾンの治療をすると聞きました。アビガン18錠分2、デカドロン24錠分2でした。23日夕からアビガン9錠(1800mg)、デカドロン12錠(6mg)を服用し、4/24朝同量服用。4/24夕方はアビガン4錠になり、その後肝障害が出たからと中止しました。入院当日夕食前に血糖値172です。4/24日昼の食前に血糖値測定し、血糖242でインスリン2単位を注射して食事をとりました。インスリン注はこの一回きりでした。(アビガン200mg錠。使用量は1日目1回1600mgを1日2回。2日目から1回600m を1日2回で2~5日間)デカドロン1錠0.5mg。1回6mg(12錠)で4/23夕と4/24朝の2回内服し、4/24夕はなくその後転院。デキサメタゾン療法は、転院後は注射になったので不明ですが、一般病室に転室後も使用していたようです。転院後、アクテムラ使用。点滴静注。
4/25の日野市立での説明では
肝障害はアビガンによるという。900から1000くらいになったという。
点滴と酸素5L/分のマスクで対応するという。SpO2が90%超となっている。
COVID-19では、全身に来るようだ。
亜鉛の低下が味覚障害や嗅覚障害が来るのではないか。
初めて血糖値が高かった。アミラーゼも高く、膵臓障害の為ではないか。
腎機能は、当初脱水状態もあり、かなり悪かったが、その後通常のレベルに戻っている。
フェリチン高値は、肝障害の為であろう。
4/26東京医大八王子医療センター救命科での説明では、
Ⅰ. 肝障害が強かったこと。アビガンの為ではないかという。
肝機能が特にLDHが上昇し、γGTPは上がらなかった。
Ⅱ. その時にフェリチンが高値になったことと、亜鉛が低下している。
またアミラーゼの上昇、腎機能が低下しているという。
しかし、亜鉛の薬が出ているのに、亜鉛の数値を聞いても研修医は判らなかった。
検査表にも良くなってからの数値しか出ていない。
肺炎は重症と言われた。入院当初から、両下肺野に間質性肺炎があると言われ、それは今まで言われたことが無かった。いずれにせよ、肺機能を低下させるほどの肺炎があった。
救命科の医師に、ヨーロッパで効果があると報告されているから、気管内挿管の前に、伏(腹)臥位呼吸をしてみませんかと薦められ、うつぶせ寝は抵抗が無かったのですぐすることにしました。
伏臥位呼吸は、肺を膨らませ、呼吸状態の改善、つまりSpO2の上昇に効果があると言い、私はそこの救命科では二人目と看護師から聞いていた。その看護師は、それをした患者さんについたのは私が最初という。その後、救命科内の患者さんたちは皆、伏臥位呼吸をするようになったという。本当に効いたので、退院後も肺活量を増やすためのリハビリとして、毎晩しています。まだ退院時には、炎症は収まっているのに、無気肺のような影が残っていました。 医師の誰かが「これなら今後はエクモを使わずに済みそうだ」というのが聞こえた。
アメリカに10年いた友人の放射線診断医に、アメリカではうつぶせ寝なので、下肺野の前の方に肺炎が起きると聞いていた。日本人は仰臥位なので、下肺野の後ろだが。それは空気の入り方によるようです。私は、コロナを疫学的に研究していて、知識があったので、決して死ぬとは思っていなかったし、気管内挿管はするがエクモはしなくて良いといっていたが、伏臥位呼吸法は非常に効果があり、それで急場をしのげて、山を越えた。人は「死ぬ」と思ってはいけない。諦めたら、その通りになることも多いから。
リハビリは自分で始めた。また救命科にいても、出来る範囲でリハビリを自分で開始した。まず歩けないので、腰を動かしたり、手を動かしたりした。救命科ではベッド上で歩くことはできず。一般病室に移ってから、動けるようになったので、出来るだけ歩いたり、スクワットを開始したりした。それで大分リハビリも早く進んだと思う。呼吸法も、高校時代にグラウンド・ホッケーをしていて、大学生に教わっていたことと、心療内科でいろいろな呼吸法を覚えたことが良かった。今も毎日少しずつ、呼吸が改善しています。SpO2測定器を持っているので、測定しながら、体操や階段の昇降をしています。
普段の薬のこと。
血圧が低下したので、入院中は降圧剤を減らしていた。尿酸を下げる薬も中止していた。 5/13退院後、そのまま入院中の薬を続け、5/18朝から以前の薬に戻した。
希望すること
今後のCOVID-19の経過観察はどこでしたらよいか。すぐには陳旧性脳梗塞と同じで、肺炎のCT画像が消えないようで、3か月ごとくらいにはしてはどうかと思うのですが。日野市立病院のデータを、欲しいと言ったのにくれなかったので初期のデータはありません。東京医大八王子医療センター救命科、感染症科ではデータをくれました。今後、尿酸値の検査と高ければ、アロプリノール(100mg)1錠/日 が欲しい。薬は、入院していた3週間分は余っていると思います。
6月1日現在での残薬は
ミコンビ 50錠 約7週分
アムロジピン 130錠 約9週分
クレストール 40錠 約5週分
プラビックス 84錠 約6週分
プレタール 120錠 約8週分
それで、一つずつ調整するのは大変だから、一律に4週間分を減らして欲しい。
(以上)