歴史は進化するのでしょうか、繰り返すのでしょうか? 高瀬義道
今、世界の状況を俯瞰すると、約30年前と酷似しているのに驚かされます。歴史は繰り返しているのでしょうか?外交文書公開原則に従って、30年を経過した文書が公開されてきています。
『1989年6月中国共産党鄧小平・李鵬政権は、改革派だった胡耀邦死去を機に、民主化を求める学生デモに対し、人民解放軍による武力弾圧を行った。これに対し民主主義国である西側諸国の政府が次々と、事件における中国共産党による武力弾圧についての声明を発表した。アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツを含む各国は、武器を持たぬ市民を手当たり次第に大虐殺した蛮行に対して譴責あるいは抗議を発表し、G7による対中首脳会議の停止、武器輸出の禁止、世界銀行による中国への融資の停止などの外交制裁を実施した。
これに対する日本の対応は、7月の第15回先進国首脳会議(アルシュ・サミット)では、議長国フランスをはじめとした西側諸国が残虐行為を厳しく非難した。
日本の宇野宗佑内閣総理大臣は対中円借款を凍結する一方で、外務大臣の三塚博と共に「中国の孤立はさせない」とサミットで主張 して他の西側諸国と距離を置き、サミット前にも対中制裁反対派の中曽根康弘元総理、鈴木善幸元総理、竹下登前総理と会談した。総理退任後の1990年5月7日に宇野が訪中した際にも中華人民共和国の江沢民から、このサミットでの対応に感謝されている。
さらに1990年7月の第16回先進国首脳会議では、日本の海部俊樹総理が対中円借款の再開に言及、国内・西側諸国共に多様な議論がある中で、西側の現職政府首脳として事件後初めて同年8月に訪中した。また、1992年8月に中華人民共和国政府の要請を受け、10月に宮沢内閣が「平成天皇皇后両陛下の中国御訪問」を閣議決定、同月に天皇皇后夫妻が中国を訪問し、西側各国で国際ニュースとなった。』
要約すると、天安門で民主派デモを軍隊で圧殺した事件で、日本は当時、1989年8月宇野内閣から海部内閣への移行時期でした。当時世界中の中共非難の中にあって、日本政府は7月のG7フランス会議で宇野首相が中国を孤立させないと中共支援を明言し、1990年海部首相は対中円借款の再開を表明し西側首脳として初めて中共を訪問しました。更に1992年国内の反対を押し切って10月に史上初の平成天皇皇后両陛下訪中を行いました。これを突破口に中共は国際包囲網を打破して、1997年江沢民が訪米、翌1998年クリントンが訪中と対中制裁が解除されました。結局西側同盟に穴を開けたのは日本政府であり、中共・鄧小平政権から大いに感謝されました。
その感謝の御礼が、ここ数年、領土奪取を企図して尖閣諸島に連日侵入してくる、中国海警局の公船ということになります。
西側諸国からは、日本は人権意識の低い国とのレッテルを張られてしまいました。
また、1990年代から2010年代後半にかけて日本経済は失われた20年とも、30年とも称されますが、日本国内では経済原因だけが分析されて内生的要因が綿密に論じられています。1980年代まではシンポジウム・学術会議など国際会議は通常、「日米欧」のフレームで行われるのが一般的でした。しかし平成年間には国際会議というと看板に「日中韓」というのが通例になっていました。これは、国際協調からフレームアウトされ、このためバブル崩壊後の国際技術開発競争に後れを取ったことが主原因と考えられます。西側同盟に大穴を開けて対中戦略に齟齬をきたす原因となった日本に対して信頼が失われた、西側諸国の経済制裁の一環であったと何故理解し公開しないのでしょうか。敢えて分析要素から外して、政権の失敗を隠蔽しようと図ったとしか考えられません。
今回は、中共・習政権の侵略がチベット、ウィグル、モンゴル、ネパールと続き、2020年6月国際協定を無視して香港圧殺に動き、さらに尖閣諸島への侵略意図を明確にし、南シナ海の軍事基地化・囲い込みをあからさまに進めている中で、今回も日本は2020年9月安倍内閣から菅内閣への移行期という構図になります。
今回も日本政府は政権移行期であり、習訪日国賓問題を抱えています。西側民主主義国家は中共制裁に動いています。今回は日本の態度は安倍政権では西側共同歩調をとっていましたが、今回日本政府はどのような外交姿勢・外交戦略を取るのでしょうか。二階俊博幹事長など、中共に配慮して中共支援を忖度する政府内政治家も少なくありません。西側民主主義陣営に踏み止まるのか、天安門事件時のように、西側陣営を裏切って中共支援に回るのか世界中が注目しているところです。
今後、菅政権は過去の失敗に学び、よもや中共忖度・支援という誤判断を再現するとは思えませんが、万一同じ行動パターンを取れば、日本経済は完全に壊滅し、尖閣諸島のみならず沖縄までをも完全に中共に献上し、米中覇権戦争の玩具に成り下がるでしょう。
現在、多くの日本人は、隣の韓国の蝙蝠外交を嘲笑して見ていますが、当時の日本も全く同じ蝙蝠外交を行ったことを恥じるべきでしょう。